天長二年(825)弘法大師作
弘法大師空海が山形県の湯殿山を開闢の帰路、阿武隈川の「弁天の渡し」にさしかかったところ、水面に地蔵尊の金文字が波間に浮かんで見える。不思議に思って近づくと古い船板から発した光であった。大師は「船は多くの人を乗せて大海を渡る。この船板で地蔵尊をつくって末世衆生の苦海を渡す法船にせよ、との菩薩のおぼめし」と思い本地阿弥陀如来の十八願をかたどり、高さ一尺八寸の地蔵菩薩を三日三晩で彫りあげたのがこの「船板地蔵尊立像」である。
よみがえる歴史の息吹
時代を超えた人の祈りが
数々の文化財とともに、
古き歴史を継承しております。
◼️高木寺鰐口
大永四年(1524)大和秀次作
青銅製、円盤状(直径18㎝厚さ4㎝)刻銘「懸奉カツラウ通里権現 大旦那カケ由助時大永四年十二月日 大工大和秀次」鰐口は社寺のお堂の軒にかけて綱で打ち鳴らす楽器である。
昔は愛宕堂に掛けてあったが明治時代から高木寺で保管している。この品は中世期の東北地方の経済発展におおいに関わりあいのあった葛尾村の松本一族の栄華を今の世に伝える証拠の品でもある。
本宮市重要文化財(昭和45年指定)
◼️子守地蔵
嘉永四年(1851)
子供たちの健康を守る地蔵菩薩として建立されたもの。子授け、安産の願いもかなえるとされ、参拝する人が絶えない。
◼️永仁の供養塔
永仁六年(1298)
亡妻の供養のため立てられた碑である。種子(供養の対象となる本尊を梵字で表したもの)は金剛界大日如来を示している。
本宮市重要文化財(昭和60年指定)
◼️涅槃図
天保十三年(1842)
御絵師 兼谷陸斉(本宮市出身・狩野派の絵師)作
◼️山額
「経聚山」昭和四十四年(1969)
天台宗東北大本山中尊寺貫主大僧正 参議院議員 今春聴東光坊書
◼️阿弥陀如来像
平成三年(1991)
日本名工百人のひとりである本宮市出身の菅野俊勝氏作